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モントリオールオリンピック銅メダリスト 安藤謙吉
 安藤謙吉: 串原久木(現在の大野地区下流)出身 昭和25年5月3日生
  串原小学校
  串原中学校
土岐高等学校(現:土岐紅稜高校)
  日本大学 卒

 1976年モントリオールオリンピック 
ウェートリフティング バンタム級 銅メダリスト


当時の串原村久木地区
 串原小学校に入学した頃から小児結核にかかり約1年間は学校に行けませんでした。毎日明智の病院まで注射を打ちにいく日々が続きました元気に外で遊べるようになったのは小学校の5年生頃からだったそうです。(同級生には串原振興事務所の沢田所長も)
 それからは矢作川や野山にと毎日真っ黒になるまで遊びまわりました。
矢作川の鮎もおいしかったが野鳥(ひわ)は最高だそうです。(現在では採ってはいけません。)

 串原中学校に入学してからは、野球部、剣道部で活躍、野球部監督はかなり厳しい先生で相当しごかれたそうです、そのかいがあつてその年の恵南大会(恵那市南部)は優勝しました。

 その頃から矢作ダムの建設が始まり矢作川流域の串原大野地区より下流はすべて移転が決まっていました。そのため現在の土岐市に引越しされました。


重量上げ(ウエートリフティング)との出会いは土岐高校1年生の時 当時の
ウエートリフティング部3年生に無理やり練習場につれていかれ、そこでいきなり70kgのバーベルを上げ、周りをびっくりさせたのが始まりだそうです。(当時身長150cm、体重55kgぐらい)初心者で70kgを上げることはまず有り得ない。この時に重量上げが天性なのかなと感じたそうです。

当時は岐阜県のレベルは高く、その中でも土岐高校はとくに強かったそうです。それからは明けても暮れても練習の日々が続きました。まだ実家のあった串原にも夏休みでも2回ぐらいしか帰れませんでした。
今では考えられないような練習量だったそうです。

日本大学へ進んでからは、練習費、遠征費など経済的にもたいへん苦労しました。親にもかなり苦労をかけたとの事。
実力はすでに世界レベルで あえて当時フェザー級王者の三宅義信、義行(北京オリンピック代表三宅宏美さん父)氏との同階級での争いに挑んだそうです。オリンピックには、国力、政治力が大きく影響します。たくさんの選手たちが涙をのんできました。安藤さんも前年バンタム級世界1位でありながらモントリオールオリンピックは銅メダルに終わりました。
ただ4年に1度のオリンピックでメダルを獲得するというのは、才能だけでなく勝負感、精神、運すべてが一致しないとできる事ではありません。


安藤さんはミュンヘン以来3回連続オリンピック出場(モスクワ五輪は直前でボイコット「日本」)、メダル獲得とたいへんな偉業をなし遂げました。

身長も低く体も弱かった安藤さんがオリンピックメダリストになれたのは才能だけではなく多くの人との出会い、親御さんの支援、など語りつくせないたくさん事があったのだと思います。
しかし1番に感じるのは、たいへん心の強い人だと言うことです。
常に強いものに挑み。負けず嫌いで徹底してやり抜く強靭な精神の持ち主。それが大事だと思います。

串原でそして恵那市で学ぶ子供たちよ!何事も強い心を持ってやり抜く事が大切です。
壁にぶつかってもそれを打ち破る根性を持ちましょう。

最後に安藤さんが獲得したメダルをお見せします。このメダルをしっかり目に焼き付けて それぞれが目指す世界で君たち自身のメダルを獲得してください。

がんばれ!!串原の少年たち
がんばれ!!恵那の子供たち
 1976年モントリオールオリンピック銅メダル 

ちなみに 岐阜県出身のメダリストは高橋尚子さんをはじめたった9名しかいません。
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